私はトラだった。




映画館でアルバイトをするためにはどうしたら良いんですか?


休日の夕方、そこそこ混雑した電車の中、
隣に立った若い女性から声をかけられた。
随分大柄な女性だ。



・・・どうでしょう。私は映画館で働いたことがないので。



彼女は無言だ。
なぜ私に声をかけてきたのだろう。
でも何かこたえてあげないと。



求人広告とか。よく出ていますよ。
応募してはいかがですか。
あとは、映画館で尋ねてみるとか。



くくくくく…少し遠くから母と妹の笑い声が聞こえる。
私がまたよくわからないものに絡まれていると
妹は可笑しくて仕方ないのだろう。

彼女は無言のままだ。
それにしても本当に大柄な女性だ。
太っているわけではない。全体的に大柄。バランスが取れている。
よくある細かい花柄のワンピースにパンツを合わせていて、
そんなサイズはなかなかないだろうと考える。

反応が一切ないまま、最寄り駅に着いてしまった。
軽く会釈をしてドアへ向かう。人が多くそれすらも一苦労だ。



トイレ行きたい。


ホームで合流してすぐに妹が呟く。
改札を出たところに母を残し、すぐ脇のトイレへふたりで向かう。
個室にひとつしか空きがなかったので、妹を先に行かせる。
そこで私も随分我慢をしていたことを思い出す。
そのこと自体を忘れてしまうことはよくわることだ。
思い出してしまえばもう限界なので駅ビルのトイレへと急ぐ。
エレベーターに乗り込み、目的の階で扉が開く。
すると、いつもと違う空気が入ってきた。
やけに湿っている。そして、薄暗い。
違和感を感じながらも限界が近い私は足早にトイレへ向かう。
トイレのドアを押し開け、そこで、息を呑んだ。

水漏れ?

床に水が溢れている。

暑く、酷く湿度が高い。

壁には蔦が這っている。

微動だにできない。

そんな私を余所目にいつどこから入ったのか若いOLがひとり個室へ入る。
なんでもないように用を足し出てきて、洗面で手を洗い髪を整え出て行く。
濃い緑色の艶めかしい小さな葉でいっぱいのシンクで。
水滴で曇って何も見えない鏡で。

彼女を追って私の視線が右へそれたところで初めて気付く。そこに掃除婦がいたことに。
大きな金属製のちりとりを手に、ガランガランとけたたましい音を立てている。
それ以上に大きな水の音と葉の音、そして様々な生き物の声のために気付かなかったのだ。
声をかけようと一歩近付ことすると、彼女の奥に階段が見えた。
深く上へ向かった数段先には、色すら識別できない古い木製の扉がある。
室内に電灯はなく、深く奥まった石段まで光は届かず薄暗い。
上の方には絡ませた水滴に光を浴びて輝く蜘蛛の巣と長い手脚の主。
グレーに光る毛並みの良い大きな蝙蝠。
地面を這う色鮮やかな蛇や蜥蜴。
兎なのか鼠なのかよくわからない小動物。
様々な形をした様々な大きさの昆虫。
見入っている私の視界の左奥に、ゆっくりと彼はやってきた。



トラだ



発するよりも速く私の唇はゴワゴワした彼のそれに塞がれ同時に意識が途切れた。





















波の音。

葉のそよぐ音。

閉じた瞼にうつる光と陰。

眼を開けた。

私は砂浜に横たわっていた。

右にはやさしく打ち寄せる波。

左にはジャングル。

私はトラだった。

数歩先でこちらを振り向き待つのは彼。

からだを起こし、熱い砂を一歩一歩しっかり踏みしめ、彼に寄り添う。




















2016.10.22.Sat.inthemorning

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