2020
2020 #断捨離 #転生 #妊活 #アニマルコミュニケーション 今年のお正月は 初めての 実家で過ごさないお正月でした。 京都へ来る年に母がくれた お正月料理が記されたファイルをもとに 初めてひとりでお節料理をつくりました。 その集中力たるや・・・ 自分でも驚きました。 集中して料理をつくっているときは ある種の瞑想状態にあると感じています。 そんななかでわたしが確信をもったふたつのこと。 この身体での この世における 一生について。 ひとつ。 一生をかけて 魂を育てるということ。 オギャアと生まれ落ちたときは とっても純粋でまっさらな状態。 汚れも知らず、罪も知らず、理性もない。 このまっさらな状態、それがこの生での本質。 年齢を重ねるに応じて、この世での立ち振る舞い方や うまく生き抜く方法などを学んでいくことになる。 でも、この生での目的は、本来はそこではない。 この世での立ち振る舞い方を学んでいくのではなく 一生をかけて魂を育てていくこと。 倫理観や理性や処世術を学び、この世で上手く生きていくことではない。 本当の意味で魂を育てること。 それは、上部だけの取り繕いや、いわゆる「大人になること」ではない。 「成功者」や「勝ち組」と呼ばれるためのものではない。 この世での生涯を終え始めるころ、年老いたとき、 人間はふたたびまっさらな状態になる。 この世での振る舞い方や、取り繕い方を忘れ、本来ある姿が露わになっていく。 そこではじめて、どれほどこの一生で魂を育てることができたのかも露わになるのだと思う。 意識がはっきりしているころに、いくら仲間がたくさんいても、みんなに好かれようと努力しても、たくさんお金儲けをしても、博識ぶっても聖職者ぶっても、 年老いて本来の姿を意志で抑えつけることができなくなってしまっては、何もかも意味を持たなくなることばかりだ。 生まれたてのころとなんら変わらない。 もしかしたら、より汚れてしまっているかもしれない。 心無いと感じさせてしまう発言で他者を傷付け 自由に動くことができなくなった身体では身の丈に合わない生活は維持できない。 身体も心も部屋も暮らしも荒んでいく。 魂をしっかりと育て上げることができれば、意志の力で自...