繋いでいた手を放して腰を引き寄せられた。 《大きな鯉がいるからちょっとなあ!》 この人は本当に大きな声を出す。都市部であればすれ違う人や住人に白い目で見られそうなものだ。 端が見えないほど大きな橋、 その暗闇には容易に吸い込まれてしまうけれど。 ヒトはきっと本来、きっちり呼吸をして、きっちり発声をして、このくらい大きな声でやりとりができるもんなんじゃないかなぁとなんとなく考える。都会の人混みはそれだけで騒音で、個々は声が小さい。耳栓をして屈み込んでしまいたくなる衝動を抑えるために、みんなイヤホンをして歩いてるんじゃないかな。自分だけの大きい音に安心を求めて。外界をシャットアウトすることで自分を守ることができるから。そうして本来のパーソナルスペースを守るっていう本能を誤魔化してるから、都会の人間たちはどんどん歪んでいく。個性を活かすということを履き違えて、意味がわからないマルチカラーに身を包む。声はどんどん小さくなり、 爆音で耳を塞ぐせいで難聴になり、周囲は喧しい。聞こえない、伝わらない会話はどんどん希薄になる。遠慮ばかりで聞き返すことすらしない。それとも面倒くさいのか。きっちりした発声をやめて、まともな呼吸すらできなくなった都会の人間。生物としての弱さが露呈されていく。生物として当たり前のことが当たり前でなくなり、基本的機能が退化していく。雄と雌が自然に出逢うこともできず婚活が流行り、雄と雌が自然に子孫を残すこともできず妊活が流行る。 《温泉に入れてあげたいけど、大きな鯉がたくさんいるから。大丈夫か?》 久しぶりのクリアな思考を止めるのがもったいなくて、 思考の歩を表の思考の裏側で進ませながら 下を見下ろすと、黒い大きな塊がゆっくりと揺れているのが見えた。あれが鯉か。この暗闇に浸かったら、間違いなく食べられてしまうだろうと思う。こわい。 私は無言で彼のシャツの腰辺りを握り締めた。 彼の視線の先には、川辺に大きなシートが被せてある塊があって、おそらく、そこに温泉を整える色々な道具が常備してあるんだろうと思う。普段は、もっと明るい時間に温泉をこさえて、観光客を楽しませる。それが、彼の仕事のひとつだと、ついさっき聞いた。 《あちら側へ行けば、少しはましかもしれない》 反対側へ向き直しながら、腰から手を放し再び手を取られた。 絶対に離す気がないんだろうと強く感じさせるほど、...